年齢なんて関係ない、とも言い切れない

私の現在の仕事はライター、厳密に言うとWebライターなのだが、今のところ、少なくとも私の感覚では、この仕事は、だいたい実力4割、信頼4割、コネ2割くらいのバランスで成り立っていると思う。

私は最初にライターとして雇ってもらった会社から独立する形で現在に至るため、その付き合いで以前いた会社からの仕事も未だに毎月やっている。しかし、その他の仕事についてはごくシンプルな方法で仕事をもらうに至っている。

基本的には自分がこれまで書いてきた記事を相手に見せて、それで判断してもらう形だ。そのまま「じゃあお願いします」ということで契約に結び付くこともあれば、テストライティングといって、1記事安い報酬で試しに書いて見せて、そこで判断されることもある。

扱う記事にもよるが、基本的にそれまでの職歴や学歴、年齢なんかは関係ない。相手に履歴書や職務経歴書を見せることもない。

なので、私も担当者もお互いの年齢を知ることは基本的にない。ただ、私が身を置いている業界はどっちかというとIT業界なので、若い人が多い。私は今41歳だが、自分より年上(と思われる)の人に会う確率って肌感覚で7人に1人くらい、いやもっと少ないかもしれない。一番上で50歳ぐらいではなかろうか。私も業界の中では歳いってる方の層に入ると思う。

なので、基本的に一緒に仕事をする人はほぼ年下(と思われる)人ばかりなわけで、若い人が多い世界なので、相手にも私が同年代だと思われている節がある。

それまでメールでやりとりをしていて、その後Web面談となり、「これまでの経歴を簡単に教えてください」みたいなことを聞かれて、「小学生の子どもが2人います」とか、「氷河期で就職先がなくて」みたいな話をすると相手が「!?!?」みたいな反応をするのを何度となく目の当たりにしてきた。

しかも自分でいうのは何だが、私はここのところ実年齢より若く見られることが多いので(※若い頃は老けて見られていた)、「え、この人本当は何歳なの?」みたいな、微妙な反応になるのである(※Webだと肌の質感とかもツルッとして見える)。そして、たまに年上の人や同年代の人に出会うと、互いに砂漠の中で偶然出会った旅人みたいな雰囲気になるのであった。

で、結局何が言いたいのかというと、同年代の人に会うとやっぱりなんか安心するというか嬉しくなるんだけど、今のこの「お互いの年齢がよくわからない状態で仕事をする」っていう環境って結構いいなと思うのだ。もっといえば、特にビジネスの場においてはもっと年齢が関係なくなればいいのにな、と思う。

というのも、実は私は来年の春から専門学校に入学するのだ。とはいっても通信なので、たまに学校に行って、その後実習で現場に2ヶ月ほど出る感じなのだが、この決断をするにあたり、年齢を気にせざるを得なかった。

なぜ専門学校に行くのかというと、取りたい国家資格があり、その資格取得のためには学校に行くしか方法がなかったからだ。

とはいえ、学校を卒業して、さらに国家試験に合格して、ようやく就職できたとしてもその頃には44歳くらいになっている。

同業種ならまだしも、異業種・異職種への転職を44歳からするって結構な冒険である。

でも、何年も前から気になっていた仕事だったので、自分の気持ちに正直に、挑戦してみることにした。「人生で今日が一番若い」とか言ったりするけど、やるなら今からスタートするのが最短だなと思ったのだ。

私と同じくらいの歳の人って、私がそうであったように、結構やりたいことがあっても年齢のことが気になって迷ってしまう人も多いのではないかと思う。

言ってもまだ気力も体力もあるし(若い時よりはないけど)、やろうと思えばできるけど、なんとなく年齢のことが気になって一歩踏み出せない、みたいな。

「年齢なんて関係ない」と言い切る人もいるけれど、「お金がすべてじゃない」と同じくらい私は「とはいってもねぇ~」と、やはり心のどこかで思ってしまう。

でも、そう思いながらもやるのだ。

年齢という概念がなければ、それだけでもっと気楽にできそうだけど、逆に考えたら年齢という概念があるからこそ、私は動き出せたのかもしれない。

まぁ、どっちでもいっか。とにかくやってみよう。

怪我の功名的な

先日勢いでブログを再開したものの、「次は何を書こう?」とあれこれ考えているうちに今日になってしまった。

で、結局何を書こうか今もまとまっていないのだが、キーボードを前にすると不思議と手は動くので、とりあえず自分の手に好きに書かせてみようと思う(仕事もこれくらいのノリでできればいいのだが…)。

今年の2月くらいだっただろうか。それまで完全に夜型人間というか寝ても寝ても寝たりない状態だった私が、ある日を境に突然朝早く目が覚めるようになった。

今思えば、あれはそれまで1年半くらい毎日飲み続けていた精神安定剤睡眠導入剤の何がしが身体から抜けきったサインだったのではないかと思う。というのも、ほぼ同時に薬を飲んでいた時にはピタリと止まっていた寝汗も復活したからだ(※おそらく自律神経がやられている)。

で、早く目が覚めるのも最初は「ラッキー」くらいに思っていたのだが、次第に目が早く覚めすぎる&夜寝つきが悪いことが気になりはじめ、寝汗も不快だったので、結局今はまた心療内科のお世話になっている。

今は睡眠導入剤と意味があるのかないのかよくわからない向精神薬的なものを毎日飲んでいて、寝汗はまたピタリと止まっている。そこそこ調子もいい…気がする。しかし、早起きは相変わらず続いており、毎日3時~5時くらいの間に一回目が覚める。本当は6時半まで寝ていたいのに。

ただ、早く目が覚めるのは夜眠れないことに比べれば気分的に全然良い。なぜなら世の中の人はだいたい日中に活動しているからだ。朝活なんてものもあるくらいだし。

なので、私も私で「もうええわ」って感じに開き直って、今では早寝(薬の力も借りながら意図的に)、早起き(やや病的な)の生活スタイルを送っている。

それまで何十年と遅寝遅起きスタイルだった私にとっては革命的な出来事が起こっているのである。

で、そんな生活を数ヶ月続けているうちに、私はあることに気付いた。

仕事の効率が格段にアップしているのだ。

というか、午前中早い時間から仕事を始めるから日中仕事ができる時間が増えたのと、以前のように仕事中に眠くなることがなくなったので集中しているのだろう。

結果、稼ぎは以前の2倍、先月は3倍になった(※もとの稼ぎがショボすぎだった説)。

結局何が言いたいかというと、これって「怪我の功名」ってやつかもしれないな、と。

そう思うと、これまでだって災難だと思っていたことが巡り巡ってプラスに転じていることってめっちゃあるなと思うのだ。なんていうか、その時は「しんど…」と思っていたけど、今となってはいい思い出的な?人生に深みが出ました的な?

さらにライターの仕事を始めてからは、なんかちょっとした(ある種不幸せな)事件的なことが起こっても「いつかネタになるかも…」とすら思うようになってきている。まぁネタになることなんてほぼないのだが(どないやねん)。

そして今思ったのだが、これってひょっとして俗に言うプラス思考やポジティブシンキングというやつではないのか?ピンチをチャンスに的な?

この私が?マイナス思考部屋出身ネガティブシンキングノ里のこの私が?おいおいちょっと待ってくれよ…。

とまぁ、気付いたらこんな話になっていたが、私は元気です。

ではまた!

 

スクラップアンドビルド

スクラップアンドビルドscrap and build)とは、老朽化して非効率な工場設備や行政機構を廃棄・廃止して、新しい生産施設・行政機構におきかえることによって、生産設備・行政機構の集中化、効率化などを実現すること。この意味で使う場合は和製英語である。

スクラップアンドビルド - Wikipedia

ダダンダンダダン!ダダンダンダダン!!

誰もがなんとなく知っている、映画「ターミネーター」のこの曲。

私も内容をよく覚えていないけど、なぜだか「戻ってくる」といえばこの曲を思い出す。

そう、戻ってきた。

戻ってきたというよりも、出直してきたと言うべきか。

7月に以前やっていたブログを閉店ガラガラしていたのだが、先日久々にそのブログを覗いたら、同じくらいにブログを休止されていた私のお気に入りのブロガーさん(という呼び方に違和感はあるが)が、ブログを再開されていたのである。

さらに、なんだかんだまだ3~4ヶ月しか経っていないのだけれど、その間もその前やっていたブログの読者さんたちが結構な割合でまだブログを継続されており、その2点に私はなんだか感動を覚え、懐かしい気持ちになり、短絡的に己もまたブログを再開してみようと思ったわけである。

ただ、前のブログも結構短絡的にスタートさせ、その挙句、最後の方は結構自分的にハチャメチャになってしまい、嫌になってやめたので(理由はそれだけではないが)、このブログもまたハチャメチャになってきたらやめてしまうかもしれない。

ということで、前回のブログで自分的に「ここは失敗した」ということをこのブログでは補正しつつ、ぼちぼちアップしていけたらと思う。

そして、なんせ短絡的に再開させたので、このブログのコンセプトなどはない。

決まっているのはタイトルだけである。

スクラップアンドビルド

この言葉は羽田圭介さんの小説「スクラップ・アンド・ビルド」をきっかけに知った言葉なのだが、なんだか私のこれまでの生き様を表しているような言葉で、この言葉を知った時からずっと頭に残っている好きな言葉だ。

壊して新しくする。それの繰り返しでここまでやってきている。

ただ、上物は姿を変えても、地面、つまり根底にあるものは動かないのだ。

そんなことも最近よく考えている。

前回のブログで毎回書きすぎてそれが負担になったので(自分で書きたくて書いてたんだけど)、とりあえず今日はここまでにしておこう。

ではまた!

(前回のブログの何人かの読者さんにブックマークなどからお声がけしています…すみません…)